2005年 05月 07日

14年前、今は亡き PC-VAN の SIG「おじさん広場」に書いた MSG デス。
年齢その他、+14 して読んでくださいまし ^_^;


#9166/9166 カフェテラス
★タイトル (SDM09369) 91/ 9/27 0:33 (191)
父>新旧交代のとき          @卑弥呼
★内容

 私の父は、孫も持てないまま今年、71歳になりました。
 父の20代は、戦争と、シベリアでの長い抑留生活で、すべて終わってしまったよ
 うなものです。

 子供の頃、満洲の話や捕虜時代のことをよく聞かされたものでした。
 ネズミを食べた。蛇食べた。
 犬を食べた。そして、その捕まえ方。
 赤犬が美味しい。
 雪の上を行進していると、歩きながら眠ってしまって、よろよろと列を離れてコテッ
 と、こけてしまう話し。
 満洲の夕日がバカにデカかった話。
 軍隊で初めて納豆を見たとき、腐ってると騒いで笑われた話。
 父の話は、そんな話ばかりでした。
 いつも同じ話で、しかも、あまり気持ちのいい内容でもないので、
 「もう、いい!」
 と、嫌がったこともあります。

 でも今は、聞いておいて良かった、と思っています。
 自分の子供に、「何かお話して」って言われたとき、父には、その話ししか、する
 ことができなかったんだ、他には何も話してやれることがなかったんだ、って気づ
 いたとき、「本当に 聞いておいて良かった。」そう思いました。

 その、満洲での時代が、実は、いかに大変だったのかということを知ったのは、こ
 こ5年ぐらいのことです。

 お正月に帰ったとき、たまたまテレビで、シベリアの捕虜のドキュメンタリーのよ
 うなものをやっていたので、
 「いったい、どれぐらいの人が還ってこれたの?」と聞いてみたら、
 「そうだなあ・・・」と、出てきた数字が、10分の1だったか何分の1だったか、
 数字は忘れてしまったけれど、とにかく、よくぞ生きて帰って、私を産んで(?)
 くれました、というような確率でした。
 「大きな樹を切っていると、」
 「どーして」
 「働かされとるんだがね(名古屋弁)。で、『倒れるぞ〜』って、合図しても、逃
 げられなくて、何人も死んだなあ・・・」
 「ど〜して」
 「腹ペコで走れんのだがね」
 「・・・・・・」
 子供の頃には、楽しそうに とは言いませんが、世間話のように話してくれたので、
 捕虜のときは遊んでいたのかと思ってましたね。
 父は、そのテレビを観ながら、こっそり 泣いていました。

 不思議なことに、3つ下の弟は、そういった話は、1度も聞いたことがないとか。
 私は、父が「おじさん」になってからの子供なので(言いたいことは分かりますよ
 ね? ^^;)私のクラスメートに聞いても、戦争に行ったような父親を持つ子供は
 いませんでした。

 マイホームパパの元祖のような人で、遅れてきた青春(?)を、家族と一緒に楽し
 みましょう、と思ったのか、30年前からマイカーで、子供の幼稚園、小学校を休
 ませて(日曜日は商売のかきいれどきだったので)、月一回のドライブは欠かしま
 せんでした。
 参観日には、いつも父が、後ろでにこにこと立っていました。
 私はいつも父にくっついて、完全な父親っ子でした。
 そのかわり、怒ると、もう震え上がるほど怖くて、小さな頃はよくひっぱたかれた
 ものです。
 ところで、よく、「怒る」ではなく「叱れ」なんていいますが、こういう欺瞞的な
 教育論、私は嫌いです。怒ったっていいじゃないかと思います。ちょっと理不尽だっ
 たかなって反省したら、ちらりと匂わせて、少し、やさしくしてやればいい。他人
 の子じゃあるまいし。(反省できない、ただそれだけのヒステリックな親なら、何
 も言うことは無いわけだし)

 父は、何でも知っていました。
 大きくて、力も強くて、とてもお洒落で、大好きな父でした。


 ————4年前、家とお店が、火事で焼けました。

 金曜日の夜中、電話で知らされて、一番の新幹線で名古屋に着いた私は、様子だけ
 を見て、すぐに区役所に行きました。そこで聞いて、弁護士会館へ。
 放火の疑いがあり、以前からお店のことで大家さんともいろいろあったので、何と
 かお店を続けられるように、弁護士に相談したかったのです。
 土曜日ということもあって、時間に追われて走り回りました。

 うちの両親は、ずっとその商売で暮らしてきました。
 他のことは、何もできないでしょう。
 お店をやめたらきっと、二人とも老け込んでしまうだろうと、何だか怖かったので
 す。
 何とか同じ場所で、同じ商売ができないかと努力しましたが、大家さんは、この時
 を待っていたかようにNOと言うばかりで、法的にも、どうしようもありませんで
 した。
 漏電ということになっていますが、私は今でも、放火だと思っています。殺意さえ、
 感じます。

 それからの2、3週間は、警察、消防(この2つはどうしてきちんとした連携がで
 きていないのでしょうか)保険屋、問屋さんへの買掛金、うちが火元だったので、
 類焼先(それぞれに、地主さん、建物の持ち主、お店の経営者で、何が何だか!)
 へのいろいろ、税理士のところ、近所の工事現場でヘルメットを借りて、焼け跡の
 とりあえずの後始末、次から次へと仕事がでてきて、座っている暇もありませんで
 した。

 気がついたら、すべて私が、指図していました。

 弟も、淡々と用事を片づけていきました。

 馬鹿馬鹿しいことまで、両親は私に相談しました。
 「自分で考えてよ!」と怒鳴ってしまったこともあります。

 母は、しょんぼりとしたり、妙にのんきなことを言ったりしました。

 父は、
 父は、一廻り縮んでしまいました。
 私は、あんなに強いと思っていたお父さんなのに、こんなケツの穴の小さい、情け
 ねえ奴だったのか、なんて、少し 軽蔑さえしました。
 ビシっとしてよ、家長でしょう! と苛々もしました。
 考えてみたら、仕方ありませんよね。
 何しろ、70近くになって、急にすべてを失ってしまったのだから。
 その時は私も、そんな父を思いやる余裕すら、ありませんでした。
 父も、私のそんな視線を知っていたことでしょう。
 むしろ、息子であり、同じくすべてを失った弟のほうが、父のことを、きちんと、
 守っていたような気がします。
 結局私は、ある意味で他人事でいられたからこそ、あんなに頑張れただけに過ぎな
 いのです。

 父が倒れました。
 深夜に連れていった病院で、点滴を受けながら「情けないなあ」と涙ぐんでいまし
 た。

 ・・・あの頃、母が言ったこと。
 「私は、気が大きくて、気が弱いの。お父さんは、気が強くて、気が小さい。
 あんたたちは(私と弟)、気が大きくて、気が強いわ。」
 ・・・なるほど。
 (弟は確かにそうだけれど、私は結構「気が小さい」と思う ^_^;)

 いろいろあって・・・たぶんその時が、実に分かりやすい、絵に描いたような、新
 旧交代でしたね。
 結局父は、働くことからリタイアしましたが、ちょうどいい時期だったと、今では
 思います。


 ————それから1年半たったある夜、また、深夜の弟からの電話。
 父が、事故を起こして、大怪我をしたというのです。
 (血の気が引くことばかり起きていた ^_^; )

 あれから父は、少しづつ元気を取り戻し、何と!家族に内緒で大型バイクを、それ
 も イージーライダーのような、アメリカンタイプのバイクを中古でこっそり買っ
 て、隠してあるところまで自転車で行き、喜んで乗り回していたらしいのです。
 そういえば、以前、欲しがってはいましたが、まさかあの歳で!
 父の免許は、何でもOKの免許なので、「ハーレーだって乗れるんだ」と威張って
 ましたが・・・

 10トンだか20トンだかの(私、数字は、すぐ忘れる主義)大きなトラックに斜
 め前方から突っ込んだ、とのこと。
 「あ、生きてる」と、集まってきた人たちに言われたそうです。
 大腿部の骨を含め、右足の4、5ヶ所が折れていました。
 レントゲンを見た弟の話では、「ポキポキ、めちゃくちゃ」

 生きているだけでよかった、とは思いましたが、これはもう、寝たきりか、車椅子
 を覚悟しました。何しろ、69です。
 しばらく、毎週末に名古屋に帰る生活が続きましたが、そのうち、退院。

 その後、何と!松葉杖でよちよちと歩いているではないですか。
 次の帰省のときには、杖一本。
 今では、普通に、とことこ、すたすた(多少スピードは落ちましたが)、わが目を
 疑いますね、これは。
 やはり、右足の膝は90度までしか曲がりませんが、「これ以上は同じだから、も
 う来なくていい」と、リハビリの先生に言われたとかで、この夏に帰ったとき、少
 し、しょげてましたね。

 いやあ、シベリアで鍛えただけのことはあります。
 見直しました。
 不死身のじじいです。

 最近は、母と二人でよく、老人用の無料パスでバスに乗っては、ナントカ博とか、
 ナントカ展を観に行くようです。


 ・・・全国ネットで、何言ってるのかしら・・・

 何と言ったらいいか、題名からはずれてきてしまったけれど、「子供はちゃんと、
 おとうさんが好きで、しっかり理解して、やっぱり尊敬しているものなのです!」

 私も、高校の頃あたりは、おおいに反抗しましたし。(数学の試験をエスケープし
 て、「試験を受けるような精神状態じゃなっかた。」などと訳のわからんことを言
 い、先生に呼び出されてホイホイ出かけた父は、やはり気になる私に聞かれて、
 「二人で軍隊のときの話してた」なんて、これまた訳のわからんことを言ってまし
 たが、心中いかばかりだったことか。)
 きっと、信頼してくれていたんだ、と勝手な解釈をしていますが ^_^;;
 ここの「おじさん」たちはきっと、「ど〜扱っていいのか、わかんなかったんだよ
 〜」って言うだろうなあ。

 長々とごめんなさい。
 何だか、父のことを書きたくなったので。

 ・・・で、
 お父さん、私はちゃんと、おとうさんが好きで、やっぱり尊敬していますよ。^_^
 (本人には、とても言えないぜ)

                           @卑弥呼


(気になる部分もあるケド ^_^; 原文のまま)  


そして、これを書いてすぐの頃、また「なんですとぉぉぉぉ?!!」な連絡が弟から入りました。
バイクの事故で車も取り上げられた このクソ親父は、ムスコ(弟)に内緒で新しい車を買って、バレないようにヨソに駐車場借りて、老妻と2人で乗り回して遊んでましたっ ヽ(゚_ 。)ノ
ソレを知った弟は、車売ったディーラー呼びつけて「親父を殺す気か!」と怒鳴りつけたそうです ^^;

が、母から「お父さんから車を取ったら 何も残らないんだから、乗らせてやってくれ」と泣いて頼まれたそうで・・・
弟からその話を聞いて、「・・・コレで事故で死んだら、ある意味 尊厳死 と言えるカモしれんわねぇ ^^;」と答えた姉で御座いました。
結局、9年前に母が死ぬまで、老夫婦は あっちゃこっちゃと遊び歩いていたようです。


・・・てのが つい先日までアタシが持っていた情報でありましてぇ、葬式の時に聞いた話によりますとぉ、母が死んでから買い換えた誰も知らない内緒の車があったようです @_@
いよいよ目と足が危なくなって、近所の人に 10万で売っぱらったようですが orz
(そーいえば、アタシが 運転再開 しようかどしよか、なんて言ってた頃(たったの3年前!)「もう乗れないから あげよか」てなこと言ってたっけなぁ・・・あたしゃぁ なんとなぁく「お父さんの車って まだあったんだっけ?」と思ったんだが、深く考えなかったんよね〜 ^o^)


運転大好きなアタシ、父の血を引いてるんだろな・・・・・


by himiko206 | 2005-05-07 20:34 | お子様・家族 | Comments(6)
Commented by izuneko at 2005-05-08 08:35
謹んでお悔やみ申し上げます。
私にはシベリア帰りの伯父が居りましたが、昨年亡くなりました、生前に抑留時代の話を聞くと、道路や鉄道を通すため森林を伐採したり、捕虜自身が住む小屋を建てたりした話を良くしてくれましたね。
時代の証人みたいな人が少なくなっていくのは寂しい限りですが、ご冥福をお祈りします。
Commented by KUNI at 2005-05-08 21:11 x
懐かしい@卑弥呼さんのMSG。何となく、覚えていますよ。色々な事がありましたね。

PCVANのOJNに出ていなかったら、@卑弥呼さんとも知り合うという事がなかったかもしれないですね。
Commented by himiko206 at 2005-05-09 00:36
m(__)m

昨夜、NHKでシベリア抑留の番組をやっていたらしく・・・見たかったなぁ
父から聞いた話、少しずつ、子供にも話してやりたいなぁ、なんて思ってマス。
大岡昇平の「野火」なんて、泣けたなぁ
戦争が終わってから、「こうさーーん!」て叫びながら米兵に向かって走っていって撃たれちゃう兵隊さん。
子供の頃に父とふざけていて、「降参、降参」てよく言ってたっけ。とか。
Commented by 風酔亭 at 2005-05-09 10:21 x
数日間書き込みがなかったので、どこかにお出かけかなあと思っていたのですが、大変でしたね。
私の伯父も十数年前に亡くなっていますが、大東亜戦争経験者でした。南方に行っていたそうですが、現地の人が腹痛だったので正露丸をあげたらすごく感謝されてご馳走を沢山いただいたとか、ニシキヘビを食べたら旨かったとか、小さいころには良く話してくれました。
もちろん戦争ですから、子供には言えない事も沢山してきただろうし、ひどい目にもあっただろうけど、彼なりの”思い”を次の世代に伝えたかったんだろうなと思えます。
つい60年前の出来事ですが、良いことも悪いことも含めあまりにも次代に伝わってないことに少々疑問を感じる今日この頃です。
この国の根っこはどこにいっちゃんたんだろうか…
ぜひお子さんに話してあげて下さい。
謹んでお悔やみ申し上げます。
Commented by sakura-mori at 2005-05-09 22:54
謹んでお悔やみ申し上げます。
himikoさんのコメントを読んで,特攻の整備兵だった親戚のじいさんや扁平足だっただけで兵役を逃れた亡外祖父を思い出しました。
Commented at 2005-05-30 13:24
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