@卑弥呼

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2010年 01月 22日

ガッチャマン

さっき子等が、TOKYO-MX でやってる「ガッチャマン」を見てたんだケドさ。。。
ガッチャマン_c0004211_20225587.jpg

名古屋から東京に出てきて、右も左も分からないアタシは大学の女子寮に入ったんだな。
2段ベッドのある3人部屋で、神奈川県から来た子と広島の子が同室だった。

神奈川の子が、アニメ(当時はフツーに「マンガ」て言ってたケド ^^;)大好きで、、中でも「ガッチャマン」の大ファンだった。
大学生だからもういいトシなワケで、しかも彼女は浪人してたからヘタすりゃ成人? しかもしかも、当時は今みたいな「腐女子」てな言葉も無く、その歳で「マンガ大好き!」を恥ずかしげもなく表明してるって、ちょっと異質だった。

寮の食堂にあるテレビの前には、毎週その時間になると、目の中にお星様キラキラの彼女の姿があった。。
自然に、寮内の他の大勢の学生も、裏番組は諦めて「彼女のガッチャマンタイム」を優先するようになり、そして彼女のニックネームは「ガッチャマン」になった。
彼女もソレを喜んで受け入れて、同室だったというのにアタシも本名を憶えてないぐらい。

ある時誰かが、「いいトシしてガッチャマン? 馬鹿みたい」的なことを言っちゃったんだな。。
そしたら彼女は、キッ!となって、涙を浮かべて、

ガッチャマンを馬鹿にする者は、なんぴとたりとも 許さないっ!

と叫んだのよ。。

ココロの中で、同じく「いいトシしてガッチャマンかよ ^^;」と実は思ってたアタシも、、「ぅおぉぉぉぉ!」と、その意気やヨシ!みたいな変な感動を受けた。
なんぴとたりとも! という古風な言い回しにも。。


ガッチャマンが最終回を迎えた時( wiki ればトシがバレるって ^o^)、彼女は、食堂のテーブルに突っ伏して、うぉんうぉん泣いた。
そりゃもう、愛する彼氏が死んじゃった! みたいな勢いで、、っちうか悲壮さで。。

居合わせたみんなして一生懸命慰めたわよ。。自殺でもしそうな勢いだったし ^^;
今みたいに、家庭用ビデオも、当然ながら DVD もブルーレイもへったくれも無い時代だから、番組が終わったらそれっきりだったワケで、、せいぜい再放送を待ち続けるしかなく、、、彼女の悲しみは絶望的でさえあった。

あんなに、、、なんっちうのかなぁ、、実感の無いよなあるよな、しかも笑いをかみ殺した慰め方をしたのは初めてで、多分、慰めてたみんなが同じよな気分だっただろうなぁ ^^;


いい人だった。。。
「ガッチャマン萌え〜」以外はごく普通で、てゆかむしろ古風なトコロがあって、すごく気の利く、ほんとに優しい人だった。
年上だったこともあって、同室の、我が儘で、今思えばガキなアタシを巧いこと扱ってくれた ^_^;
1年しかいられない寮だったし、学部も違うからたった1年の付き合いだったけれど、実に深い付き合いだったな。。
なにしろ寝食を共にしたワケで、、、広島から来た子は1〜2ヶ月で早々とアパート見つけて移っちゃったからその後はガッチャマンと二人っきりの部屋。。
それぞれが独立(アパート見つけるまでの寮、て感じだった)してからも、校内で会えばもちろん「ガッチャマ〜ン!!」と派手に抱き合ったりとか。。。


卒業後も年賀状のやり取りは続き、20代後半かな、東京に遊びに来ていた弟と、取りたて免許で町田の東急ハンズに行った時、ばったりと会った。
「ガッチャマ〜〜ン!!」「あんこ姫〜〜〜!!(学生時代のワシのニックネーム ^^;)」と、感動の再会。。
アタシの隣の弟を見て、「ご主人?!」「・・・残念ながら、弟 ^o^」なんちてサ。。。

その後も年賀状だけのお付き合いは続き、、、

でも 10年ぐらい前かな、ガッチャマンのご主人から喪中葉書が届いた。。
癌だったらしい。
まだ若かったのに!!


・・・・ガッチャマン、、、門限過ぎてこっそり寮に帰ってきたアタシに、説教してくれたっけね。。
夜中にお腹を空かせたアタシに、調理室に忍び込んでフレンチトースト作ってくれたっけね。。

会いたいなぁ。。。。死んじゃったなんて、ずるいぞ!

by himiko206 | 2010-01-22 21:42 | 独り言 | Comments(0)
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